ザグレブ観光で人気の場所と言えば、まずドーラツ市場があげられます。四季を通じて新鮮な野菜や果物が安価で手に入り、お土産品も豊富なので旅行中も2・3度必ず訪れます。
留学した年の秋には、地元産の皮ごと食べられるブドウに舌鼓を打ち、日本から輸入されたの大きな柿(渋柿)に驚きました。柿は柔らかくなるまで待ち、ゼリー状になったら食べ頃だとされ結構人気でした。「日本のりんご」と名付けられていたのも興味深かったです。
11月に入り気温が急に下がると市場の出店は減り、市民は地下の売り場に向かいます。
生鮮食品の値段は少し高めですが、1年中楽しめる肉やハム・チーズと共にゆったりと買い物を楽しむことが出来ます。
覚えたてのクロアチア語を試せるのも嬉しく、売り子さんに褒めてもらうと益々やる気が出たのを覚えています。
2019年10月22日
クロアチアの記憶「冬のドーラッツ市場@」
posted by ラツコヴィッチ・アート・ジャパン at 19:38| クロアチア
2019年10月20日
クロアチアの記憶「1本の線で描く」
ラツコヴィッチ氏から人物デッサンの指導を受けてから、私は木炭の代わりに筆ペンを持って授業に参加するようになりました。
日本を出発する際に購入した筆ペンが役立ったのを喜び、対象の動きや形を一つの線に凝縮して描くことの大切さを実感しました。
そんな私を教授や学生は、けげんそうに眺めていました。

日本を出発する際に購入した筆ペンが役立ったのを喜び、対象の動きや形を一つの線に凝縮して描くことの大切さを実感しました。
そんな私を教授や学生は、けげんそうに眺めていました。

posted by ラツコヴィッチ・アート・ジャパン at 14:24| クロアチア
2019年10月18日
クロアチアの記憶「ラツコヴィッチ氏からのアドバイス」
1988年の10月からザグレブ芸術大学での授業が始まりました。朝の素描の授業には必ず出席し、20年ぶりに木炭を握りました。モデルさんは女性の時もありましたが、ほとんどが骨格のしっかりとした男性でした。
週末にはその木炭デッサンを携えてラツコヴィッチ氏のアトリエに通いました。
「人物デッサンは一本の線で描きなさい。」というラツコヴィッチ氏のアドバイスは、その後の私の人物画の基本になりました。
週末にはその木炭デッサンを携えてラツコヴィッチ氏のアトリエに通いました。
「人物デッサンは一本の線で描きなさい。」というラツコヴィッチ氏のアドバイスは、その後の私の人物画の基本になりました。
posted by ラツコヴィッチ・アート・ジャパン at 22:24| クロアチア
2019年10月11日
クロアチアの記憶「トルココーヒーと占い」
クロアチアのカフェではエスプレッソがお馴染みですが、家庭では粉末状のコーヒーを専用の鍋で沸かして作るトルココーヒーが愛飲されています。
砂糖入りの熱湯にコーヒーの粉を入れ、泡が噴きこぼれそうになったら、少量の水を足して蓋をします。それぞれの分量や作り方は家ごとに違っていて、私の入れ方はラツコヴィッチ氏のアトリエの隣に住んでいたマリアさんから習ったものです。
コーヒーを味わった後のもう一つの楽しみは、逆さにしておいたカップの底に残る粉の形で占いをすることです。


砂糖入りの熱湯にコーヒーの粉を入れ、泡が噴きこぼれそうになったら、少量の水を足して蓋をします。それぞれの分量や作り方は家ごとに違っていて、私の入れ方はラツコヴィッチ氏のアトリエの隣に住んでいたマリアさんから習ったものです。
コーヒーを味わった後のもう一つの楽しみは、逆さにしておいたカップの底に残る粉の形で占いをすることです。


posted by ラツコヴィッチ・アート・ジャパン at 10:35| クロアチア
2019年10月07日
クロアチアの記憶「焼き栗」
ザグレブっ子たちの冬の楽しみの一つは「焼き栗」です。栗は日本より小ぶりですが、香ばしく甘さも十分でした。私達の住んでいたパパガイケ(オウム)団地にも11月に入ると毎日屋台が出て、息子たちは下校するとすぐに屋台に向かいました。
屋台のおじさんは値段に応じて違う入れ物で量を測り、手早く丸めた紙袋に焼き立ての栗を入れてくれました。

屋台のおじさんは値段に応じて違う入れ物で量を測り、手早く丸めた紙袋に焼き立ての栗を入れてくれました。

posted by ラツコヴィッチ・アート・ジャパン at 23:48| クロアチア